現代帝国主義と統一戦線

                      松江 澄

現代帝国主義と統一戦線――日本共産党の統一戦線論を批判する―― 松江 澄

労働運動研究 1974年  

 

はじめに

 総選挙の結果、日本共産党が飛躍的に議席を増大させたことは各方面から注目され、今回の選挙の評価を含めてさまざまな議論と討論が幅広く行なわれている。ここではその中の一つの問題点――そうしてそれが最も重要な問題でもあるが――としての、統一戦線と国会を通じる過渡的政府の問題について検討したい。なぜならば、現在の国会のワク内での民主連合政府の樹立を、当面する「革命に有利な条件をつくる」重要な環であるというのが、日本共産党の主張に外ならないからである。

しかし、こういう日本共産党の主張に対して、かつて日本共産党にあって革命論争の参加した私にとって、これは或る種の感慨なしにいうわけにはゆかない。

 一九五八年の七回大会へ向けて中央から提案された党章草案をめぐる論争は、戦後日本共産党で党内民主主義が保障された唯一の時期であっただけに、党内外で活発な討論をよびおこした。私が今でも忘れることができないのは、たしか六全協の一年ばかり後、五六年の後期だったと思うが、本部でひらかれた全国書記会議(当時県委員長を書記と呼んでいた)での討論の一コマである。

 私は当時広島県委員会書記としてこの会議にのぞみ、書記の中でほとんど唯一人、当時の党中央に反対して執ように討論を迫ったことがある。私の前の方にすわって、もっぱらアメリカ帝国主義と日本独占資本のブロック権力論を批判してくいさがったが、最後には宮本もその亜流の諸君も明快な答弁ができなくなった。その時眼の前にいた野坂が私に向かって、アメリカ占領軍の下でどうして革命に移行するのかと、逆に質問した。私は、大衆の革命的闘争に依拠して議会を利用した統一戦線政府をつくり、下からの闘いと政府による上からの攻撃で権力の変革に着手するとともに米軍の撤退を要求すれば、現在の国際的条件の下ではアメリカの軍事介入と武力衝突なしに――もし衝突すれば日米戦争になる――独立を達成する可能性がある。もちろんいつでも暴力的介入の可能性があるが、中央のいうように二つの可能性を並列的に提起するのではなく、われわれは平和的移行の可能性を積極的に追求すべきだと答えた。そうすると野坂は大きな声で、米軍がいるのにそんなことができますか、米軍は必ず暴力でつぶしますよと、例のアジ調で叫んだことがある。それから二年、はげしい討論を経て七回大会がひらかれた。

 私は代議員としての本会議の発言以外に、綱領小委員会の委員として他の諸同志とともに宮本と真向から対決したが、この委員会の記録は未だに党内で公開されていないらしい。また私は政治報告小委員会の委員としても日本帝国主義復活論争に参加した。そうして忘れもしないのは、当時私とともにこの委員会のメンバーであった上田耕一郎が、自説を撤回して日本帝国主義の復活を認め原案修正に同意したことである。大会では党章案は棚上げとなり、政治報告と行動綱領を採択して終わった。

 それから十五年、今、日本共産党は得々として国会内多数派による民主連合政府の樹立について語り、平和移行を大声で呼びたてて、暴力とは無縁であることをことさらに強調してイメージ転換に忙しい。

 思えば、当時私は発表されたばかりのソ共二〇大会の報告や、前から追求していた東ヨーロッパの人民民主主義革命の影響を受けていたことは間違いない。今改めて当時をふりかえり、その後の情勢変化と合わせて自己の意見の再点検と再検討を迫られ、ここ数年理論的にも実践的にもその追求に没頭してきた。

 しかし日本共産党は、かつての暴力論を平和移行へ、かつての議会利用の無視から選挙の結果によってはいつでも「民主的」に交替する合法的な民主連合政府論へ転換して涼しい顔をしているが、その転換の理由も自己批判も唯の一かけらも発表されたことはない。宮本一流のなしくずし転換といえばそれまでだが、そのうち、誰の目にも事実に相違していることが明らかな「半占領従属国」規定も、このやり方で変えるに違いない。

 私がここで問題にしたいのは、今日の日本共産党の路線の理論的な根拠になっていると思われる「極左日和見主義の中傷と挑発――党綱領に対する対外盲従分子のデマを粉砕する――」評論員(『赤旗』一九六七年四月二十九日)――不破の最近の著書「人民的議会主義」でもこの長大な論文の学習が強調されている――のうち、「日本共産党綱領と国会の問題」および第十一回大会の報告と決議のうち、「民主連合政府と統一戦線」の部分であり、またしたがって現在の日本共産党の統一戦線論と統一戦線政府論である。

 評論員論文では、「日本革命の具体的条件」として三つの問題を指摘している。それは第一に民族民主統一戦線結集の可能な条件であり、第二に現在日本の国家機構のなかで大きな権限をもっている国会の中での適法的な統一戦線政府樹立の可能な条件であり、第三に平和的手段による革命の可能な条件である。この中で第三の問題については、用心深く誰しも否定しない古典的な「敵の出方論」を用意しているので、主として第一と第二について論じたい。

 本来、統一戦線論と議会利用論、また平和移行論は別なものである。しかし、統一戦線論は統一戦線政府の問題を通じて発達した国の議会を利用する問題と、また議会利用論はその「合法性」を通じて平和移行の問題と――転ぷくをねらう反動勢力を「合法的権力にたいする反徒」(マルクス)にするという意味で――深くかかわり合っている。

 ここではまず高度に発達した資本主義国としての日本における議会利用の問題を手がかりに、主として最も重要な統一戦線論を中心に検討したい。

 

国会の利用について

 

 評論員論文は、日本革命の具体的な条件の一つとして日本の国会の位置を上げている。「第二の重要な問題は現在の日本の国家機構の中で、国会が憲法上、政府首班の指名権をはじめ大きな権限をもっていることである」と強調し、戦後国会の新しい地位と役割として、第一に直接・平等・秘密の普通選挙、第二に「国の唯一の立法機関」として、最高裁を除いては政府をはじめ他のいかなる国家機関も国会の決議にたいする明白な拒否権をもっていないこと、第三に内閣総理大臣の氏名権を持ち、したがってどんな場合にも国会の承認なしに政府をつくることはできないことをあげている。したがってブルジョア議会としての弱点と制約を持ちつつも統一戦線政府を適法的につくり得る可能性があり、「国会で安定した過半数(すなわち一人や二人多いだけの過半数ではなく、議会内でも反動勢力に対して数的にたしかな絶対多数)をしめるならば、国会を反動支配の道具から人民に奉仕する道具にかえ革命の条件をさらに有利にすることが出来る」(綱領)としている。

 日本の国家機構の中でしめる国会の重要な位置については誰しも否定するものはないだろうし、またあげられた三つの点についても別に異論はない。フランス国会のように首相の指名権もなく、大統領権限の絶大な国と比べて日本の国会は「法律と制度」の上で随分「民主的」に大きな位置をしめ重要な権限をもっていることは事実である。しかし、このことだけならどんな反動学者も憲法概論にも政治学教科書にも書いてある。そうしてわれわれもまた今日の闘いの中で議会を利用することの重要性を充分心得ているつもりである。

 ここで問題なのは、評論家がレーニンまで引用して強調している国会闘争の重要性と、国会を通じる過渡的政府の革命的位置づけとは、似ているようで全く別なことだということである。そうして今ここで論ずべき課題は後者なのである。

 統一戦線政府の国会内多数派による成立についての一般的な問題点は、選挙制度、統一戦線政府の樹立を可能にする国会内多数派の成立――決して野党的多数派ではない――、樹立後の安定した国会内多数派の維持、および樹立後の全過程を通じる敵の攻撃等であろう。評論員論文は、「統一戦線政府の成立は『権力への一つの過程であり、権力への橋頭堡をにぎること』(第八回党大会綱領報告)」を確認しつつ、『統一戦線政府が適法的に樹立されるという前提そのものが絶対的なものではない』といい、「選挙法の改悪や議会制度の破壊、右翼反動分子からの攻撃、テロ、クーデターなどの手段にうったえて統一戦線政府の民主的合法的な成立への道そのものをとざそうとすることは十分予想されることである」とのべている。

 もしそうだとすれば、選挙期間中や選挙後さかんにPRしている政権交替論や暴力否定論、またすぐにでも選挙でできそうに宣伝する民主連合政府は国民の関心を買うための選挙戦術なのだろうか。しかし何れにしても明らかなことは、国会内多数派によって成立をめざすことだけなら社会党はもっと先輩だし、闘う統一戦線と統一戦線政府の革命的な性格を抜きにすれば、民主連合政府も国民連合政府も社会党政府の延長としてその本質は変わりない。

 今日、国会が事実上の政策決定とその執行を行う国家独占資本主義テクノクラシーの副え物になっていることは周知の事実である。したがって国会を通じて適法的に成立する過渡的政府が橋頭堡として権力の獲得に向って「官僚機構と国家機関の粉砕」ないし変革しようとすれば、あらかじめそれを包囲し、事実上それをマヒさせるだけの議会外革命勢力が組織されていることが不可欠の前提条件であり、またこのような議会外大衆闘争に依拠してこそこの過渡的政府の革命的性格が維持されるであろう。その意味でわれわれにとって最も重要なのは、議会の中だけで民主連合政府ができるかどうかのあれこれの予想と分析ではなく、それに革命的性格を与える統一戦線の可能性は日本共産党が主張するように存在するか否かということである。

 

統一戦線について

 

 評論員論文が「日本革命の具体的諸条件」の中で第一に強調している民族民主統一戦線結集の可能性を論じるためにも、日本共産党の革命移行論と統一戦線との関係を明らかにしておく必要がある。

 日本共産党は周知のように民主主義革命から社会主義革命への二段階革命論の立場に立っている。そうして当面する反帝反独占の民主主義革命の条件を有利にするために、「党と労働者階級を中心とした民族民主勢力が議会外の大衆闘争の強大な発展と結びついて、国会で絶対多数をしめ、アメリカ帝国主義と日本独占資本の支配に反対する統一戦線政府を適法的につくり得る可能性がある」(綱領)と主張している。しかし第一一回大会の決議では、「同時に党は綱領でも明らかにしているように、民族民主統一戦線の政府がつくられる以前にも、『一定の条件があるならば、民主勢力がさしあたって一致できる目標の範囲でも、統一戦線政府をつくるために』たたかう。そして、今日の情勢が提起している課題は、まさにさしあたって平和・中立・民主・生活向上という目標範囲で一致できる民主勢力を結集した統一戦線の結成であり、それを土台にした民主連合政府の樹立である」といっている。つまり、同じ大会の政治報告でのべている「七〇年代のできりだけおそくない時期に達成」しょうとしている「民主連合政府」はこの政府に外ならない。

 結局日本共産党は、まず平和・中立・民主・生活向上の統一戦線を土台にした民主連合政府の国会内多数派でつくりあげ、ひきつづいてこの統一戦線を民族民主統一戦線政府に発展転化させて変革に着手するというわけである。ここには二段階革命論の前段階に統一戦線とその政府の二段階がある。

 第一一回大会の政治報告は、大会の中での、当面する平和・中立・民主・生活向上の統一戦線に独立の課題が結び付けられていないという質問に答えて、「統一戦線の結成の複雑な過程を考慮して、反帝・反独占の民族民主統一戦線を一貫して望んで努力しながらも、それにいたる過程として当面、現実的に広範な国民の世論、および民主的な勢力が容易に一致しうる共通の課題として、日本の中立化、軍事同盟からの離脱と、日本が侵略戦争にまきこまれることに反対する平和の旗じるし、――この民主勢力のなかにつねに確認されている一致点にもとづく統一戦線の結成を重視しているのであります」とのべている。そうして「日本が自立した帝国主義になっているかどうかというと問題についてはさまざまな意見の相違がある」として、こうした統一戦線こそが、「現実的に独立の課題の達成にもっともすみやかに接近する道であります」と強調している。

 つまり、「独立」の課題は、「現実的に広範な世論、および民主的な勢力が容易に一致しうる共通の課題」にはまだなってないというわけである。そのうちにだんだん分かってくるとでもいうのだろうか。こうしてかつての「独立なければ中心なし」という教条は見事にその反対物に転化した。これが「従属論」のなしくずし解消でないとすれば、随分と人をバカにした論理ではないか。

 何れにしても、日本共産党が七〇年代の最も重要な任務として提起しているのは、結局、平和・中立・民主・生活擁護(向上)の統一戦線とそれにもとづく民主連合政府であることだけは確かだ。それではこの統一戦線を成立させる可能な条件はあるだろうか。また統一戦線を革命的な戦線に転化させる可能性はあるだろうか。

 

(1)  統一戦線戦術の歴史的経験――防衛から攻勢への転化――

 

 統一戦線戦術の歴史的経験についてはほぼ一致した定説がある。

 それはレーニンが最後に指導したコミンテルン第四回大会(一九二二年)にはじまり、その後コミンテルン内部の複雑な過程を経て第七回大会決議で明らかにされた反ファシズム統一戦線の成立である。とくに重要なことは、レーニンが第四回で提起し、第七回大会で決定された統一戦線政府の構想である。それはまだ変革のための労働者政府ではないが、それへの「接近ないし移行の形態」として目的意識的に提起された点で画気的な意義をもっている。

 それはやがてフランスの人民戦線内閣(共産党は閣外支持)およびスペイン人民戦線政府として実践の課題に移された。フランスのブルム内閣は、その後、後退してついに倒れるが、スペインではこの政府が闘いの炎の中で革命的人民権力に転化し、その革命的民主主義の実現を通じて新しい型の人民共和国に発展したが、最後に国際的なファシストの武力干渉によって消滅した。

しかし、こうした経験は第二次世界大戦の戦中・戦後を通じて再び発展し、とくに東ヨーロッパの多くの国々では、ソ連軍の圧力の下で人民民主主義革命に成功し、今日の社会主義の基礎がきづかれた。また中国では反帝民族解放統一戦線による長期かつ困難な闘いを通じて今日の中華人民共和国の基礎がつくられたことは周知のとおりである。さらに戦後西ヨーヨロッパとくにイタリア、フランスでは戦時中抵抗闘争を闘った地下の戦線が浮上して権力に迫り、革命的民主主義的発展に有利な一連の制度をきりひらき、イタリアでは一時共産党が政府に参加したこともあったが、やがて復活再起し巨大独占圧力を前に、その後も終始激裂な闘いが全戦線にわたって展開されて今日に至っている。

 こうした一連の国際諸経験はわれわれに一つの重要な問題を提起しているが、それは、統一戦線戦術における「防衛から攻勢への転化」の課題である、(この点では私は年来の主張は清水慎三氏「統一戦線論」と一致している。)この課題は「二つの戦術」から由来するレーニンのすぐれた指導の中から生まれた。

 よく知られているように、レーニンは帝国主義時代における一国社会主義革命の理論をうちたてるとともに、ブルジョア民主主義革命から社会主義革命への転化を指導し、それは一九〇五年革命の一時的停滞の後、一九一七年二つの革命を通じて歴史的に実施された。レーニンの革命的な思想の中で「転化」の思想はマルクス主義的弁証法の最も重要な核ともいうべきであろう。そうしてこの思想は、常に「権力への接近と移行」を追求する課題としてコミンテルンに継承され、スターリンによる一時的中絶はあったにせよ、第七回大会のディミトルフ報告と決議で新しい時代の新しい戦術として成立した。

さし迫る戦争とファシズムの危険から人民の平和と民主主義を守る広範な統一戦線結集の可能性は、同時にその闘いの経験を通じて戦争とファシズムの元凶に対する逆襲としての統一戦線政府の革命的な性格を提起した。民主主義防衛の戦術は革命的民主主義への攻勢戦術に転化し、人民権力の樹立に成功する実例を歴史的に生み出した。以後民主主義的統一戦線の戦術は、広範な大衆を闘いの経験を通じて革命的な潮流へ組織する革命的戦略として定式化され、今日ほとんどのすべての共産党・労働者党によってその民族その社会に対応したさまざまな統一戦線が提起され、闘いつづけられている。

しかし、われわれにとってこの戦術の持っている一定の限界を明らかにすることはとくに重要である。それは民主主義的な性格を持つ統一戦線が広範な人民を組織し得る根拠としてこの防衛的な性格である。そうしてこの戦術が新しく獲得した攻勢的な性格も、逆にその広い防衛的な性格に根拠を持っている。平和と民主主義(独立)に対する凶暴な弾圧が強ければ強いほど防衛的統一戦線の幅は広く強いし、押さえつける力が大きければ大きいほどそれをハネかえす力は強い。こうしてそのバネのようにはねかえす力こそ権力に対する新しい攻勢への転換を生み出す根拠となる。防衛に成功した時は、目的であった民主主義の回復=元の状態以上の深刻かつ徹底した民主主義の実現=革命的民主主義へと必然的に発展するし、またその発展を組織することは、こうした経験がないときに比べて幾百層倍も可能となる。したがって逆説的にいえば、民主主義的統一戦線の革命的攻勢的性格の度合は、政治反動による民主主義の否定と抑圧およびこれに対する人民の怒りと憤りの度合いにかかっている。

この戦術は戦後、高度に発達した資本主義ではその攻勢的性格を先取りして反独占民主改革の闘いとして提起された。この場合の民主主義はすでにかつての民主主義のとどまらず、あらかじめ深刻な改良を含む新しい民主主義として提起されている。つまり民主主義的統一戦線の基底にある防衛的性格と攻勢的性格は統一され、経験の蓄積と情勢の発展にもとづいて防衛と攻勢は二段階にではなく一つの過程に組み込まれている。しかしなおこの戦線のもつ防衛的性格は重要な意味と役割を果たしている。

 

(2)戦後日本の統一戦線の諸経験

 

このような統一戦線の理論と経験は、戦後日本においてどのように具体化され、発展させられたであろうか。

戦後もっとも機の熟していたと見られる客観的条件の下で、山川均によって提唱された「民主人民戦線」(民主人民同盟準備会)は、社共の対立によって結局実現されなかった。(これについては私自身実感をもった経験がなく、もっと当時渦中にあった人々によって再検討されることを期待する)

その後日本共産党が提起した最初の統一戦線は一九四八年三月に提唱された「民主民族戦線」(敗戦直後の「人民解放連盟」はまだ統一戦線とはいえまい)であり、宮本によってその具体化と評されている「民主主義擁護同盟」である。(宮本顕冶「革命の展望」一九四八年)。宮本は後々までも占領下日本でいち早く提唱した(コミンフォルム批判以前に)民主民族戦線の推進者として自負し、したがってこの「同盟」を日本における統一戦線の原形として高く評価していたようである。

 しかし「民主主義擁護同盟」はまもなく世界平和評議会準備会のラフィット書記長によって、最も幅広い運動体であるはずの「平和を守る会」がその一構成員であることのあやまちを指摘された。しかしそれ以上に統一戦線としての致命的な弱点は、この組織が幅広い結集体でありながら社会党系を含まず、もっぱら共産党を中心とした戦線に終わったということである。

 その後「ビキニ」を契機に、広島・杉並を起点とした全国的大衆運動として発展した原水爆禁止の署名運動は、やがて「原水爆禁止日本協議会」を生み出した。「原水協」はとくに政党を中心にしたものでない大衆的な運動体であって、いわゆる統一戦線とはいえないにしても、事実上社・共・総評を軸にしていたという意味で、ある種の統一戦線的な経験の一例ということができよう。この運動と組織は戦後日本の平和運動として最も重要な役割りを果たしたことはいうまでもない。しかしこの組織はソ連の核実験を契機とした「いかなる問題」をめぐって分裂したが、発展する情勢の中で核問題の相対的位置が歴史的に後退するにつれて事実上の解体を招き、今日ではきびしい大衆的批判はありながらも、社共それぞれの対立的カンパニア運動になっている。

 それ以上に統一戦線の経験として特に需要な教訓を与えているのは「安保反対、平和と民主主義を守る国民会議」の運動と組織である。日本共産党の第八回大会では、「それは共産党、社会党の直接の共闘による政治的統一戦線ではないが、社共を含む広範な民主勢力の統一戦線の一つの形態であり」、「日本における統一戦線の発展過程の具体的な一形態である」と規定した。さらに第九回大会ではこの規定を再確認してその「継続発展と質的強化のために努力」することは、「民族民主統一戦線をめざすわが党の当面の中心任務にそうものである」として、休業状態を余儀なくされている「安保共闘」を再開させるため全力を挙げることを決定している。その後社共の対立によって事実上の解体状態になった後も、しつようにその再開をアピールし、各団体に呼びかけつづけている。日本共産党にとって「安保共闘」は、民族民主統一戦線へと発展させるべき「虎の子」であったわけである。しかし、この「安保共闘」も、社共の分裂と日本帝国主義の進出とアジアにおける帝国主義的再編による安保条約の性格変化にともなって、共産党の一貫した主張にもかかわらず事実上解体した。

 もう一つの統一戦線の経験は、東京都知事選をめぐって結ばれた「統一選挙協定」と「明るい革新都政をつくる会」である。この運動と組織は美濃部都知事を誕生させて大きな成功をおさめ、日本共産党はこれこそ今後の統一戦線の一つの規範だと極めて高く評価し、ことあるごとに「美濃部方式」を強調している。しかしこの組織も選挙が済めば、社共の対立と選挙闘争という緊迫感の消滅にともなって事実上解体している。

 「民主主義擁護同盟」は別としても、「原水協」、「安保共闘」、「明るい会」それぞれについての積極的な面と弱点、とくに解体に導いた直接の原因等を事実に即して徹底的に究明することは、運動の前進のために極めて重要である。しかし私がここでとくに問題にしたいのは、この三組織が何れも事実上解体した共通の原因はないのか、もしあるとすればそれは何か、ということである。

 たしかに三組織とも解体と深い関係があるのは、社共の対立と分裂である。しかしこの三つの組織がその位置と度合は別として、何れも社共の共闘を事実上の軸として成立していたとすれば、社共の対立と分裂は組織の解体と同義語であってその原因ではない。いいかえれば、なぜ社共が分裂したのか、ということでもある。

 もちろんこの問題を究明すれば、共産党・社会党それぞれの組織体質と政治方針、また相互の歴史的な関係と伝統的なセクト主義の問題があるだろう。しかしこうした諸問題は全てに通じるものであって、この問題特有の原因ではない。今、統一戦線論としてその特有の原因を探るならば、それは何れも統一戦線ないし統一行動の中心課題がもっていた緊迫感が薄れていく中で、社共が対立し、分裂し、組織が解体したということである。

 この諸組織は何れも、ある種の大衆的実践的危機感と緊迫感から生まれている。原水爆が再び使用される危険、安保改正による戦争への危険、自民党に負けるという懸念、何れも差し迫った危険や懸念から平和と民主主義を防衛するという課題が中心となっている。したがってその危険が遠のくか、形をかえるか、あるいは終了するかによって運動は後退し、緊迫感から弛緩状態へ変る中で社共の対立と分裂も生まれ、やがて解体している。

 ここに平和と民主主義を課題とする統一戦線の防衛的な性格の限度があり、したがってまた時間の長短を問わずそのカンパニア的性格がある。

 

(3)現代帝国主義と統一戦線

 

今まで主として統一戦線の国際的、国内的経験の分析から、民主主義的統一戦線の防衛的正確および闘争過程を通じる「防衛的から攻勢への転化と発展」についてのべてきた。そこでひきつづいてその「転化のバネ」になってきた民主主義と統一戦線の関係を明らかにすることは、必要かつ重要なことである。

昨年十二月刊行された『現代と思想』第一〇号は、「統一戦線の現代的課題」を特集している。この特集号の中には田口富久治氏の、日本共産党主催の発達した資本主義国共産党による国際理論会議についての有益な論文をはじめ多くの興味ある論文が掲載されている。中でも景山日出弥氏「統一戦線論の成立と課題」は、すでに私が提起した問題とも関連して特に有益であった。

景山氏はこの論文のうち、「統一戦線と民主主義」の項で、「統一戦線は民主主義のひとつの歴史的存在形態であるブルジョア民主主義と異なった新しい民主主義の発展形態である」と規定し、「まず第一に統一戦線が民主主義の発展形態であるという規定は、統一戦線が歴史的に成立し展開する歴史的諸条件――歴史的な『場』によって制約されている」と主張している。同氏はさらにつづけて、「統一戦線が成立し展開するのは歴史的には資本主義の発達史の面から見れば、帝国主義の段階である。この段階――『段階』規定によってひとつの特別の歴史時代とされている段階――が『場』を形成する。この帝国主義の経済的本質をあらわす『独占資本主義のうえに立つ政治的上部構造』は、『自由競争には民主主義が照応する』のと異なって『民主主義から政治反動への転換』をあらわし、それゆえ、帝国主義は、『対外政策でも対内政策でも一様に』『民主主義一般、民主主義全体の「否定」』である」とのべて有名なレーニンの文章を引用している。念のためレーニンのこの箇所の全文をあげれば次の通りである。

「民主主義から政治反動への転換が、新しい経済のうえに、独占資本主義(帝国主義は独占資本主義である)のうえに立つ政治的上部構造である。独占には政治的反動が照応する。・・・・・対外政策でも体内政策でも一様に、帝国主義は民主主義の破壊を目指し、反動をめざす。      帝国主義が民主主義一般民主主義闘争全体の『否定』であって、けっして民主主義的要求の一つである民族自決だけを否定するものではないことは、この意味で争う余地がない。」(「マルクス主義の戯画と『帝国主義的経済主義』とについて」――レーニン全集大月版二三巻三八頁)

景山氏は用心深く、「レーニンによるこの『政治的上部構造』規定は本質論であって、民主主義一般、民主主義全体がどこでも『否定』されてしまっているとういうことを意味しない。この本質がどこでも傾向としてみられるようになる」といっているが、結局、「統一戦線の概念は、まさに本質論かえらいえば対外的にも体内的にも民主主義一般の否定を意味する『政治反動』にたいする対立概念なのである」と規定する。そこで、否定された「民主主義は被抑圧民族と人民によってのみ担われ、発展させられる。民主主義はこの民族と人民が担うことにとって『政治反動』に対する対抗と否定の概念として再構築されるもの」となり、したがって「第二の意味」すなわち、「統一戦線は国家権力という形態以外の方法で、しかしもっとも普遍的な形態で社会の次元の全体において『政治反動』に対置される民主主義の組織形態である」と論定する。

私がここで景山論文を長々引用したのはそれを批判するためよりも、むしろすぐれた卓見として紹介したかったからである。今までの多くの統一戦線論の中でこれほど民主主義と統一戦線の関係について論理的に明快な規定した文章はあるまい。しかし、正にそこにこそ問題があり、また今日の問題点がひそんでいるといわなければならない。

たしかにレーニンがいっているように、「自由競争には民主主義が照応」し、「独占には政治反動が照応する」しかし、今日の現代帝国主義(戦後国家独占資本主義)にも同じように「政治反動」が照応し、民主主義一般の否定、ないしその本質的傾向があるといってすませることができるだろうか。

たしかに現代帝国主義(戦後国家独占資本主義)は戦前の帝国主義と区別されるべき新しい段階ではない。したがって戦前と同じような「政治反動」にいつでも転換する「本質的な傾向をもっている。しかし、だからといって今日の帝国主義と国家独占資本主義の上部構造を「政治反動」一般に解消するならば、それは単に不正確であるというだけでなく、その具体的な特長の分析を放棄している点でまちがってさえいる。そうして統一戦線論こそ正にこうした生きて働く事実に対応してこそ存在し得るものであり、統一戦線の「歴史的な『場』が下部構造の段階で規定されるというような観念的な経済決定論でどうして生きた政治に対応することができようか。

今日の国家独占資本主義はそれほど単純ではない。それは「民主主義」の点で、戦前と現在の日本でどれだけのちがいがあるかを考えて見ただけで充分であろう。敗戦と労働者、人民の闘いを通じて獲得された「戦後民主主義」はまだ決して「民主主義一般を否定する政治反動」に転換してはいない。それどころか、支配階級はその「戦後民主主義」を逆用することによって、上から労働者、人民を「統合」し、国家独占資本主義の「管理社会」を再構築している。

現代帝国主義は植民地体制崩壊の中から新しい「民族」的統合を再構成し、新しい闘いの中からすくい上げた「民主主義」を新しいブルジョア民主主義=議会民主主義として再定着させようとしている。つまり現代帝国主義は「対外政策でも体内政策でも一様に」「民主主義」的な統合と管理を進めている。それは対立を含みながらも発展する世界社会主義と、たえ間なく前進する労働者、人民の闘いの圧力を前に、新しい「統治」と「安定」を求める現代帝国主義の主要な傾向である。彼らは上部構造を再構築することによって「安定と統合」を維持しつつ、国家による経済過程への介入を通じて搾取の新しい体系をつくり出し、今まで以上の厖大な利潤を引き出している。

かつてはスターリンがいったように、「ブルジョアジーが自ら海中に投げすてた平和と民主主義の旗を労働者階級がひろい上げ、高くかかげて闘うことによって人民を労働者階級の周囲に結集」することができ、その闘いを通じて防衛から攻勢へ転化して革命的な端緒をきりひらける時期もあった。しかし今では、ブルジョアジーは一度なげすてた「平和と民主主義」の旗をもう一度ひろい上げることによって労働者と人民を上から統合管理しようとしているのだ。

自由競争に民主主義が、帝国主義に政治反動が照応するとすれば、現代帝国主義には、いつでも政治反動へ転換する可能性をもつ「民主主義」的統合と管理が照応する。その典型の一つは今日の日本に外ならない。そこにわれわれ自身の闘いの経験と実感を通じて、かつて迫力と緊迫感をもって闘われた平和・民主主議闘争の弛:緩と迫力の弱さがあり、そこに平和と民主主義の統一戦線のもつバネの弱さの原因がある。

景山氏の論定は多くの重要な意義をもっているが、実は景山氏による論定の土台になっている情勢が発展し、正にその「歴史的な『場』」が変化しているのだ。「古いバネ」も、ひとたび公然たる政治反動への転換がひきおきれば再び有効な力を発揮するに違いない。しかし今のわれわれに必要なのは、「古いバネ」に油をつぐことではなく、動いている事実と情勢に対応した「新しいバネ」を探求することなのだ。

 

国家独占資本主義との闘い――序論

 

すでにのべたような「民主主義」的な統合と管理は、今日の日本の社会にむかっての時代には想像さえできなかったほどの新しい様相をつくり出している。

異常な速度で発展する生産力、とりわけおどろくべき技術の革新は、生産と市民生活の全面に新しい特長をつくり出している。生産の面では「労働の疎外」は誰の目にもロコツに見えすいている。自動車工場労働者には、技術の革新と搾取のメカニズムで強度の労働緊張を強いられ神経をすりへらしながら、つくったすばらしい自動車を自らの手に買い戻すために一層の緊張と消純を強要されている。生産力が発展すればするほど、技術革新が進めば進むほど、生産力は何のためにあるのか、技術はだれのためにあるべきなのかが小学校の生徒にも明らかになる。搾取のメカニズムはレントゲン写真のようにその真髄を透視することができるようになった。かつては分かりにくい学習をしなければ理解しにくかった「経済内強制」が、あたかも誰の目にもすぐ分かる「経済外強制」のように感覚を通じて感得される。

市民生活が生産力の発展と技術の革新による多少の近代的便宣と利益の替わりに受取るものは、無限の交通地獄、果てしない公害とどめない物価高騰である。今日ほど機械と技術が人間のためにあるのではなく、全くその逆であることが明らかになった時代はない。しかし、それは決して人間を昔のような「ドレイ」にするのではなく、少なくとも法律と制度のワク内での個人の権利は極めて丁重に「尊重」されるが、困った問題は何一つ解決されない。管理された「民主主義」は一人一人にバラされたアナーキーな生活を再統合してGNP世界第二の大国を積木細工のようにつくり上げるが、その頂点に最も「民主主義」的な議会がある。

こうした上からの「民主主義」的な管理と統合に対抗できるのは、それと競合してその「真」を争う「平和と民主主義」の闘いではなく、これと正面から対決する下からの「自主管理・市民参加」の闘いなのだ。今、重要なことは、「ホン者かニセ者か」の争いではなく、最早極限にまで達している生産力と生産関係の目に見えた矛盾に内容的に迫る闘いなのである。「何のために」という根源的な問いかけにこそすべての闘いの出発点でなければならぬし、またそれはすべての人々の口から発せられはじめている。すべてのことが改めてその意味を問い返される時代でもあるのだ。

国鉄労働者の遵法闘争はまだ現在の規定の下ではるにしても、自己の作業=労働過程を管理する闘いとしてはじまっている。それは地味ではあるが、スケジュール・ストライキとは際立って異なり、はなばなしい「労働の放棄」以上に、管理の端緒的な闘いとして核心に迫っている。さらに作業管理の選択の基準が既成の制度から階級的で自由な選択に飛躍する時、この闘いはすでに変革の闘いに発展しているだろう。その意味で遵法闘争は要求達成の闘争手段であるとともに手段を超える契機をもっている。

また公害闘争の中で獲得されつつある企業への工場立入調査権は闘争の新しい萌芽を含んでいる。まだ限定されているものの、それはもはや単なる反対闘争ではなく、住民参加の過渡的な一形態となるだろう。こうした介入が部分から全体へ拡大されるとき、それはすでに変革を志向する闘いとなるだろう。

民主主義闘争が社会の主人公に対する防衛と反対の闘いであるとすれば、自主管理と参加の闘いは自らが社会の主人公になるための闘いである。この闘いは民主主義闘争のように上からの静態的平面的な統一戦線の組織形態をとらず、不均等に発展する下からの闘争の動態的重層的な連鎖を形成することになるだろう。そうしてこうした諸闘争は新しい社会=社会主義をめざして巨大独占と権力に対決する新しい統一戦線となるであろう。それは決して賃金や権利の闘いを捨象するのではなく、こうした諸闘争を徹底して闘い抜くことからのみ出発する。労働者の下からの戦闘的再統一の力こそその起動力であり指導力なのだ。

そうしてまた、景山氏がいうように、旧来の統一戦線が「社会の次元の全体において『政治反動』に対置される民主主義の組織形態」とすれば、新しい統一の闘いと組織――自主管理と参加の闘い――は、「社会次元の全体において」国家独占資本主義に対置される社会主義の組織形態の萌芽として、新しい社会のどんな官僚主義をも許さぬ基礎ともなるだろう。

当面この闘いは国家公共部門とそれに関連する領域から始まるに違いない。何故ならば、たとえ上からにせよ、「すべての人民のために」という錦の御旗は、これを逆用することによってこの闘いの社会性を拡大して直接核心に迫ることを可能にするとともに、他の部門と領域以上に組織しやすい条件をもっているからである。

今日の社会の特長は、一つの闘いが深部に達すれば革命的な連鎖を伝導するという性格をもっている。矛盾とその暴発はかつての時代より一層早い連動を生むに違いない。下からの管理と参加の闘いに裏づけられた労働者、人民による闘いの過程で形成される強固な統一の力こそ新しい社会の源泉なのだ。情勢はわれわれの足下の闘いを要求している。「パリの五月」ならぬ「日本の五月」はその延長の上にのみある。(一九七三・二・一) 


表紙へ